CB125Sレーサー(鈴鹿レーシングSPL)
昇格したら、同期で独占する事は無かった ノービス時代では、直線で抜けた2ストツインのTA125も ジュニアクラスでは、ちゃんとセッティングが出来て来て スリップストリームを使っても、中々抜けなくなった コーナーリングスピードも鈴鹿レーシングと同等になっていた シーズン前も、1年前の高揚は無…
筑波の後、10月のGPに向けて気分よく準備していった 125の改造は特になかったが、 ダブルエントリーの90クラスのマシンを用意した 先輩の125に90のエンジンを載せ、タイヤもF2.00/R2.25と細くした このサイズは、昔のGP50ccクラスに採用された物で 125ccの2.50サイズとは全く異なる走…
9月 第4戦は筑波 4月の第1戦は治療明けで裏方仕事だったから、初走行~ 初めてのサーキットは「小さい/狭い/回り込み」ってのが第一印象だった 「峠道みたいな鈴鹿」は先の見えない「ブラインドコーナー」が多い ここ筑波は、小さいRのコーナーが3つ有るので、そこが問題だ…
7月後半の「4時間耐久レース」に向けての準備が始まった N125には、松山/木山 吉村/飯島 の2組と そして自分は佐藤健正君と組んだ 佐藤君は1期下だが、2年目でN250にデビューして頭角を現していた 3番手のチームだが、どこが勝っても良い状態だった(はず?) …
いよいよ「ヘッダー画像」の'73第3戦と相成った この時に新コンパウンドのタイヤが完成していた ノービス125の予選で4人共に2分40秒台半ばのタイムが出て、 チーム内でもザワ付き始めていた(125の先輩方々が) 予選4番手でスタートして、 1周目に4番手でメインスタンド…
1973年5月 GWが終わったあとだったっけ MFJロードレース第2戦 バイクもモデルチェンジし「実戦タイプ」になり、全てが整った 予選の事は覚えていないが、2列目の何処かに居た(8番手辺り) スタートの練習もちゃんとやっていたし、周りはホンダ関係がずらり 緊張はしていただろう…
’73/2月下旬から3月末に掛けての入院生活も終え 退院のためにギブスを取ると、やせ細った情けないフクラハギ 自分の体重を支えられなくて、まともに歩けやしない ポキンと折れた骨折では無く、左くるぶしの内側の骨が欠けて 小骨が浮遊しているX線画像を見せて…
’73/2月になると、4月のデビュー戦に向けて充実した練習が続く バイクにもカウリング(CS90お下がり)が付き、レーサーらしくなった CR31キャブも装備していた(RSCヘッドキットは、まだ) この日スポーツ走行が始まって暫くして、松ちゃんコーナーを越え スプーン入口のコーナーのINに向かった…
鈴鹿市の成人式にも出ないで、サーキットに行っていた 走行前に組立ミスでクラッチカバーから「オイルだだ漏れ」が発生 寮にオイル(カストロR30)を取りに帰ると丁度記念撮影をやっていた ツナギの上に作業ジャンパーを羽織ったままで、一緒にパチリ このあとサーキットに引き返して練習した …
3分を切った時の記憶が無いが、練習は楽しかった 台風が来るのに強風の中走ったら(台風の後だったっけ?) ゴキブリを上ってデグナー手前で風向きが変わりフラフラして走った 二日酔いで気持ち悪いのにも関わらず、走り回った モドシそうになるとピットインしてト…
マシンも結構な仕上がりとなり、走行にも慣れてきて、 もう一段上に昇る準備は完了した その時が、やっと来た 1972年5月に2回目の合宿参加となる 会社前の「平田宿舎(期間工の宿)」で寝泊まりして5日間 I沢さんに3日間引っ張って貰った、と記録に…
入社して1年が過ぎると、会社生活にもすっかり慣れ オートバイ部にも新人の顔がちらほら見られる様になっていた 1期下の小嶋君・佐藤君も入部してたはずだが、記憶がない 先輩の手伝い(専属メカニック)をしながら 自分の走行練習にも精を出していた が、中々…
職場での仕事は、量産加工ラインで使用し摩耗した「カッター/ドリル等」を 「再研磨」する仕事で「削る/磨く」の作業がほとんどだったため、 エンジン弄りには、凄く役に立った(あの仕事は好きになれなかったが) 高校生の時に愛読していた「モーターサイクリスト誌」のチューニング…
記憶だけに頼った記事は何かと間違いが多くなる ただ「間違い」かどうかは、自分しか判らない 「私の記録」の切り抜きが有ったのを思い出して、探してみた 有った 有った たった8ページなのだが 2年目の記録が少し書いてあった 感想 「若き自分、よく頑張っ…
マシン作りを楽しみ(苦しみ)ながら、初走行の準備をする 一番大事な防具購入と、コース走行必携のSMSCライセンスを取得する事にする ヘルメットは当時の最新型「フルフェイス」を買った(既に「BELL」も有った) 給料が3万ほどの頃、「正栄」製が2.5万ほどした ベルは4万以上した…
オートバイ部に入部したものの、先輩の手伝い以外の仕事は無い その状態が、10月の「日本GP」が終わるまで続く ロード部門の同期も随分いたのだが(40人?) 我慢出来ずに、GPが終る頃には4人しか残らなかった(木山/飯島/吉村/私) 他の色々な遊びも有るんで…
(高校卒業後、1971年の3月に本田技研鈴鹿製作所に入社した) 「ホンダ」に入社した頃は、レースを始めるなんて考えもしなかった 入社してボーナス支給月(6月)に中古のCB450EXPを買って 同じ寮の仲間でツーリングなんかをして、遊んでいた 同期入社で北九州出の「…
このブログのヘッダー画像には 鈴鹿サーキットの最終コーナーが映っている 剥き出しのガードレールの外側は夏草が茂っている 50年前のレースでは、「伏せっぱなし」の「全開」で下っていた ジェットヘルなので、「アゴ」がTOPブリッジのセンターナットに接触して レース後…
1973年 4耐走った! リタイヤしたが この頃が一番乗れていた ちょっと勘違いしそうな気分だった 9月にこけて左手骨折し、現実に引き戻された
早朝、湖畔の公園に行き音量音圧を確認する まずは、M5ネジを入れないで回す 開放タイプより、マイルドな音になった 破裂音⇒野太い みたいな変化を感じる 音量は、少し落ちたみたいだか、 計測器が無いと正確には判らない 18個の穴の6個にネジを入れてみる 大して変…
ライトデザインに行き、1ミリ厚鉄板(SPC?)でリフレクターを作り溶接して貰う 毎度の綺麗な溶接に感激! 小嶋社長Thanks!! まん丸の出口に力強さをアピール!
叩いてリフレクターを形成していた「オリジナルメガフォン」は、 カチッとしない形状が気になるので、 別部品のリフレクターを追加したい 先ずは、絞った後端を元に戻す(完全には戻らないが) 凹みも有るし、ハンマーで叩いて修正する(打音がうるさい) パイプを置いて叩くが、中々平ら…
メガフォン部のバリ取りをして、 ざっと、トップヒートで耐熱塗装する 今日は、絶好の塗装日和だ 8時から9時まで作業 日差しも強く暖かい1日になりそうだ
メガフォンマフラー後端が切りっ放しなのは、どうも見た目が悪い 欠け部を補修した後 リフレクターを追加する 消音器を付ければ見えないのだがね
明日の天気が怪しいので、午後に作業する CB90JXにIGコイルとACGを組んで始動する(イグナイター・メーターは別置) CR33キャブ装着のままだが、始動さえすれば問題は無い 始動し8000以上まで回すと、購入メーターは無事動いた (嬉) 大枚叩いて購入した甲斐が有った 良かった!良…
CDIユニットを並べて検討 メーターに付属している割込み配線の中身を確認する メータの配線に小型ギボシを圧着する CDIイグナイター直前の配線を捲って、メーター線を繋いで終了 明日、CB90JXに組んで動作確認したい 2つのメーターの抵抗が、随分異なるので大丈夫かな? 9時から11時ま…
既にCDIユニットは入手済で実働確認している(CB90Rで走行確認済) 先日、懐かしい「電気タコ」をYオクで見つけ、即決で落札(¥25K) 左:鈴鹿レーシングの試作メータ(実働)右:今回入手品 当時7000以下の回転は使わなかった(走れるが、パワーは無い) 常時9000~15000を使って…
中央:1973年型CB125S(EJゼッケン) 現在所有しているマシン 1974年から四角のゼッケンになった(ディトナマシンと同じ) カッチョ悪~い これは、'73に塗り替えた(無限さんが塗ったか、羽田君か?) 右画像は'73のマシン ゼッケンベースは楕円で有るのが判る 車体は、無限さんの体格に合わ…
5/4のモテギ以来6/6までず~とGASを入れっ放しでホビオに積んでいた 和室に移動した時、タンクにGAS滲み(漏れでは無い)が有ったので 表面を少し削り取って、FRPで補修した(右側だけだった) 30年以上前に入手した時は、ボロボロの状態でかなりの面積を補修した そ…
167エンジンを載せていたので、オリジナルの122改124エンジンに載せ替え 「和室」に保管 CDI点火からフラマグ点火に戻す ポイント点火で14000回転まで、何の問題も無い(つい回し過ぎる) 「TL125」のポイント/ガバナーを組む 進角したままにする(針金で固定) さて、次の出番は…