無限∞空間ー新館

1973 MFJ第3戦ノービス125 (CB125S鈴鹿レーシングSPL) 「21」於: 鈴鹿サーキット

レース事始(回顧)ー16(手首骨折)

筑波の後、10月のGPに向けて気分よく準備していった

125の改造は特になかったが、

ダブルエントリーの90クラスのマシンを用意した

先輩の125に90のエンジンを載せ、タイヤもF2.00/R2.25と細くした

このサイズは、昔のGP50ccクラスに採用された物で

125ccの2.50サイズとは全く異なる走行特性だ

丁度、自転車みたいにヒラリヒラリと簡単に曲がる

まぁ順調に仕上がって行ったが

2回目の走行時だったっけ? 

ダンロップ下を抜けて「ゴキブリ」を上り切り

左に緩く回り「デグナー」に向かっていた瞬間転倒した

左手首が動かない 骨折していた くそ~っ 残念無念

原因は「焼き付き」で、キャブのMJが薄すぎた様だった

画像は、完成検査ラインの辺りでウロウロしていたら、

オートバイ部の先輩が、インスタントカメラでパチリ 情けないよ~

これでレース参加は無くなり、飯島君が代走してくれた

6戦中3戦完走1戦リタイヤで、ランキング5位だった

1~5位まで鈴鹿レーシングの仲間で独占した

MFJの年間表彰式にも連れていってもらった

5位は表彰外だったが、割と部長/先輩への心証が良かったのだろう

90ccクラス2位の大嶋さんの代わりにメダルを受け取った

 

これで1973年度は終了

年に2回も骨折するとは悔恨の居たりだったが

それが無ければ、もう少し成績を残せたかも知れない

が、元々レース向きの性格では無いなぁ と先輩に言われていたので

上々の成績だったかもね

 

骨折で職場には迷惑をかけたが、不思議と「勤務評価」は良かった

日頃から真面目に勤務していたから、上司の心証は良かった様だ

ホンダのレース活動の端っこでの活躍も少しは評価されたかもしれない

 

年初から年末まで激動の1年だった

今(2023)思い返せば、人生で1番面白く楽しく又苦しい時期だった

続く~