筑波の後、10月のGPに向けて気分よく準備していった
125の改造は特になかったが、
ダブルエントリーの90クラスのマシンを用意した
先輩の125に90のエンジンを載せ、タイヤもF2.00/R2.25と細くした
このサイズは、昔のGP50ccクラスに採用された物で
125ccの2.50サイズとは全く異なる走行特性だ
丁度、自転車みたいにヒラリヒラリと簡単に曲がる
まぁ順調に仕上がって行ったが
2回目の走行時だったっけ?
ダンロップ下を抜けて「ゴキブリ」を上り切り
左に緩く回り「デグナー」に向かっていた瞬間転倒した
左手首が動かない 骨折していた くそ~っ 残念無念
原因は「焼き付き」で、キャブのMJが薄すぎた様だった
画像は、完成検査ラインの辺りでウロウロしていたら、
オートバイ部の先輩が、インスタントカメラでパチリ 情けないよ~
これでレース参加は無くなり、飯島君が代走してくれた
6戦中3戦完走1戦リタイヤで、ランキング5位だった
1~5位まで鈴鹿レーシングの仲間で独占した
MFJの年間表彰式にも連れていってもらった
5位は表彰外だったが、割と部長/先輩への心証が良かったのだろう
90ccクラス2位の大嶋さんの代わりにメダルを受け取った
これで1973年度は終了
年に2回も骨折するとは悔恨の居たりだったが
それが無ければ、もう少し成績を残せたかも知れない
が、元々レース向きの性格では無いなぁ と先輩に言われていたので
上々の成績だったかもね
骨折で職場には迷惑をかけたが、不思議と「勤務評価」は良かった
日頃から真面目に勤務していたから、上司の心証は良かった様だ
ホンダのレース活動の端っこでの活躍も少しは評価されたかもしれない
年初から年末まで激動の1年だった
今(2023)思い返せば、人生で1番面白く楽しく又苦しい時期だった
続く~