無限∞空間ー新館

1973 MFJ第3戦ノービス125 (CB125S鈴鹿レーシングSPL) 「21」於: 鈴鹿サーキット

レース事始(回顧)ー3(初合宿)

マシン作りを楽しみ(苦しみ)ながら、初走行の準備をする
 
一番大事な防具購入と、コース走行必携のSMSCライセンスを取得する事にする
 
ヘルメットは当時の最新型「フルフェイス」を買った(既に「BELL」も有った)
 
給料が3万ほどの頃、「正栄」製が2.5万ほどした ベルは4万以上した
 
ツナギは、木山君と一緒に浜松まで採寸に行った(ブーツも仕立)
 
黒が一般的だったが、サイドに黄線を入れて、少~しオシャレに
 
SMSC(Suzuka Motor Sport Club)のライセンスも取った
 
さて準備万端 サーキットデビューは近くなった 不安半分/期待半分
 
年末年始合宿で最初にやらされたのが、パドックでの「押しがけ」の練習
 
初日の午前中、みっちりとやらされた(鬼先輩マコちゃんの指導)
 
ノーマルタイヤが平に成りはしないかと心配する位やらされた(笑)
 
限界までチューニングした4ストシングルエンジンは、始動が大変になったので
 
「押し掛け」の練習は大事だと、レースデビューして実感(スタートは得意)
 
鍛えてくれた「ちょいと意地悪系」のマコちゃんには、感謝
 
7歩/9歩で掛けられないと1コーナーまでに後塵を浴びる(抜くのは大変)
 
さて「押しがけ」練習が終わると、いよいよコースイン(木山と私だけ?)
 
先輩の後ろにくっ付いて「金魚のウンコ」の如くヨチヨチ走行
 
木山君は技術部にいた関係でコースは走っていたはずだが
 
私は、全くの初心者で、広~いコースの端っこ(右端)をトロトロ/トコトコ
 
2日ほど引っ張って貰った後は、単独走行になった様な記憶
 
本で読んだライン等を思い出す余裕なんて無い(コース幅が広くて広くて)
 
先輩の走りをコース上で見ると、到底あのレベルになれるとは思えなかった
 
正月休みの1週間ほど走りこむと、何となく走れる様になった(遅いが)
 
ポジションに慣れるのが先だったが、不思議と早く馴染めた
 
貸切走行で一般客は居ないので、危険は感じない(ここが貸切のメリット)
 
コースレイアウトは頭に入っていたが、コーナーリングで倒して曲がるのがぎこちない
 
元々「ビビリ」なので、体が倒れていかない さて、困った
 
木山君は、北九州の「飛ばし屋」だったので、先に行きよった(笑)
 
この先に「ブレイクスルー」が有るとは全く考えもしていなかったので
 
合宿後の週末は、ひたすら練習に明け暮れた(給料は走行代に消えた)
 
走行時間を目イッパイ走るのは、当時も今も変わりない(練習は大好き!)
 
さらなるジャンプアップまで、あと半年
 
続く~