無限∞空間ー新館

1973 MFJ第3戦ノービス125 (CB125S鈴鹿レーシングSPL) 「21」於: 鈴鹿サーキット

バイク事始め

バイク事始-10

クラブ活動(鈴鹿レーシング)で骨折して長期に仕事を離れていると あれこれと良からぬ事を考えてしまう 何事にも「浮気性」だったので、 このままホンダに居続けて良いのか?と疑問が湧いて来た 1年間のレース成績を振り返ると、そちらの能力が無いのはハッキリした …

バイク事始-9

本業はサラリーマンなので、クラブ活動での骨折とは言え 仕事を1ヶ月以上休んでいたのだから、当然「査定」に響くはず (爽風会オートバイ部が社内呼称、サッカー部/野球部なんかと同じ) 年度末の「査定」の時期だったので、すっかり諦めていた が、なんと入院して…

バイク事始-8

高校を卒業して、いざ職場に配属されると何をしたら良いか? 先輩の指導で少しずつ業務を覚えて行く事になる そこは世界一のバイク量産工場で、いい加減な刃具を供給出来ない 理解は出来ないが、言われた通りに再研磨し検査して貰う 3か月もすると自分なりに作…

バイク事始-7

「スーパーカブ」の量産工場として建った鈴鹿製作所は10年を経て 入社当時、すでに「世界一」のバイク量産工場になっていた 職場は、C50/C65/107のエンジン加工ラインの直ぐ横に有ったので 加工の様子は観察出来たし、加工現場にも頻繁に行っていた 中でも一番気に入った…

バイク事始め-6

約46年前(1970)のある日、田舎のバス停で待っていたら、 先のコーナーから自動車の排気音が聞こえた、「フォーン」と てっきり自動車が来るものだと考えていたが 現れたのは300(CB750four)だった 凄~い 九州の山奥にも300を買った人がいたらしい その…

バイク事始め-5

鈴鹿製作所では、入社時にCB500(323)が量産されていた 4気筒エンジンは、H1300(590)「空冷エンジン」(巨大な)も作っていた 1年後だったか、CB750(300)が狭山より移管されて来た 今でこそ、製作所間の機種移管は普通に行われているが、 当時の各…

バイク事始め-4

ホンダに入社したのは、バイクが好きだったのはもちろんだが 本田宗一郎さんに憧れたのかもしれない (当時の社長) 宮崎市で入社試験が有って、国鉄のディーゼルカーで1泊の日程で行った 試験内容は忘れたが、「クレペリン」なる試験は覚えている 無事に受かって、会社…

バイク事始め-2

同じクラス(機械科)にGASスタンドの息子がおり コヤツが、大のバイク好きだったので、あれこれレクチャ~を受けて 2年生になる頃には、すっかり「モーターサイクリスト誌」が愛読書となった 当時('68~'71)は、他に「オートバイ誌」しか無かった 特別奨学金を3000円/月貰っていたの…

バイク事始め-1

高校に入ってすぐだったか、近所のおじさん(お兄さんかな?)が スポカブ(C110?)をくれた もうバイクに興味深々だったので、 私道や田圃のあぜ道なんかを走っていた 小心者だったので、公道には出られなかった(今でも小心者は継続中) 元通りに戻す自信がな…