9月 第4戦は筑波
4月の第1戦は治療明けで裏方仕事だったから、初走行~
初めてのサーキットは「小さい/狭い/回り込み」ってのが第一印象だった
「峠道みたいな鈴鹿」は先の見えない「ブラインドコーナー」が多い
ここ筑波は、小さいRのコーナーが3つ有るので、そこが問題だった
4H耐久から更にカウリングデザインも変更して「125」も追加した
10月のGPには「N90」にも参戦するので、
「90」との区別を付けるためだ
ゼッケン「93」は筑波専用 「95」の吉村君もGPでN90とダブルエントリーだ
ピットでの鈴鹿レーシングは、台数が多いためマシンを綺麗に並べて作業する
チームの雰囲気は和気あいあいとしてい、仲は良かった(はず)
練習走行になり、コースに出てみると、
関東勢がビュンビュン追い越していくし、
筑波2戦目の同期も、相変わらず速い
どうにもラインが判らない これは困ったと先輩に相談すると、
予選日の早朝に、DAX二人乗りでコースを1周して教えてくれた
これでなんとかイメージが沸き、
予選順位は3列目に並べた(同期は当然1列目)
当時、暖機はメインスタンド前をグルグル回るだけでコースは走らない(鈴鹿も同じ)
スタートのコツも先輩に教えてもらった(筑波は失敗すると悲劇が待っている)
赤⇒黄⇒青とランプが変わるが、「黄」が消えた瞬間に押せ!と言われた
まんまと成功し、押している間に2列目を抜いてしまい
エンジンも1発で掛かり、第一ヘアピンまでにぶっちぎりのTOPだ
TOPで帰ってきて、2週目もTOPだ
ただ、後から木山/佐藤/松山と詰めて来た
オイル処理の白い石灰?部分を避けてレースは続いた(鈴鹿/モテギはおがくず)
このままで行けば、また表彰台か!と思われたが、すんなりと行かない
スタート直後の第2ヘアピンで、ブレーキングしながら倒して行ったら
ブレーキペダルの先端が、が路面に接触して踏めなくなって
減速不十分で外側にすっ飛びそうになった
鈴鹿でのブレーキングで、リアを使うのはヘアピン以外ほとんどないから
ペダル角度が前下がりのままだったのが失敗だった
筑波では、前後のブレーキをキチンと掛けないと止まれないと判ったが、
後の祭りで、予選時に全く気付かなかった(決勝は別物だ)
第一コーナー・第二ヘアピンでリアブレーキが十分掛けられず、
ズルズルと後退して5位か6位で終わったはずだ
レース中盤に木山が最終コーナーのタイヤバリアに突っ込んだのを、
目の前で目撃して、ビビったのかもしれない
レースが終わってピットに帰ると、序盤の快走を見ていた部長や先輩から
「予選は三味線を弾いていたのか?」とからかわれた(褒められた?)
予選時と決勝の走りが全く異なるのが、自分の弱点だと悟った
でも2周だけだったが、TOPを走ったのは気分が良かった
自分の前に誰も走っていないのが、現実と思えなかった
当時は、DUNLOPゲート下のシケインは無かったので、
その下を、伏せたままアウトまで膨らんで行き、
第2ヘアピンに突っ込むラインが大好きになったのが収穫だった
今(2023)のシケイン部は、どうも好きになれないし
ラインが決まらないので苦手だ
なお、佐藤健正君もN125で走った(しかも速い)
ただ3位以内に入ると、来年ジュニアに自動昇格するので
ピットサインで、「3位に入るな!」と指示されたらしい
ちなみに、佐藤君は翌年のN125で当然の如く全勝して「Champ」になった
続く~